「一眼レフを買っていろんなテクニックを勉強しているものの、どうしてもうまく撮れずに落ちどころが見つからない」という経験はありませんか?
私も一眼レフを持ったのが、インスタグラマーみたいなインパクトのある感動の1枚を撮りたかったから。
けれど実際はそううまくいかず、どう頑張ってもうまく撮れない時間が続きました。
ファインダーを覗いているときは良くても、撮った写真を見返して拡大するとどこかミスっていたり。
なんか思っているのと違うなと思っては消して、そんな日々でした。
大事なのは、その写真を撮って自分がどう感じるか
ふと思い返すと、私がとあるインスタグラマーの写真を見て感動をしたのは、当時一眼レフによる綺麗な画質の写真を見たことがなかったこともありますが、それだけではなかったのです。
それは、その風景の写真を見て「懐かしいなぁ」「こんなことあったな」と当時の思い出を思い起こさせてくれたことでした。
今はない街並みや当時の工事現場など、当時の風景を写真として残すことで、過去のものとして残り、それを観た者は、その人にしかない思い出に浸ることができる。
それが私の中での写真の意義や価値を強く感じた部分であり、感銘を受けたのだと思います。
「写真を撮ってきてそこまで考えたことはない!」という方も多いかと思いますが、そもそも自分が撮っている写真っていうのがどれだけのものなのかを考えることにもつながったので良かったと思っています。
なので、写真の質ばかりに囚われるのではなく、自分がその写真を見てどう感じるかが大事で、多少ボケてて納得がいかなくても、何か感じるものがあればそれは消さずに残すべきだと私は思います。
写真飽くまで自己満足の世界
写真は飽くまで自己満足の世界なのです。
写真は撮影のテクニックと自分自身にしか持ち得ない感性によって形成され、そこにこそオリジナリティが生まれる。
ちなみに私のスマホの壁紙は自分で撮った風景の写真で「1番綺麗だから」という理由ではなく、「1番見ていて心地がいいから」という理由です。
画角の決め方も色々テクニックやアドバイスがあるけど、無視してもいい!
参考書やネットで見ていると、匠に計算された画角の選定があり、時に複雑なものもあります。
しかし、難しければ無視すればいいのです!
もちろん、素晴らしい写真が撮れることは間違いありませんが、最終的に自分が満足のいく写真が撮れればそれが1つの完成形だと思います。
自分の感性と向き合って、何が美しいと感じるのかを今一度考えてみるといいかもしれないですね。
最後に
決して安くはないカメラを買って、写真の世界に足を踏み入れたのならば、それはもう素敵なことです。
自分が真に美しいと感じるものを信じて、たとえ画質が悪くても自分にしか撮れない1枚1枚を愛していけば、きっと納得のいく写真が撮れるようになりますよ。
今回は”写真”について考えていたことを書きました。
ありがとうございました。
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