青空を撮影して加工する前に考えること

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夏といえば「花火・お祭り・屋台・海・プール」のようにたくさんの代名詞とも言えるものがありますよね。

私は四季の中で1番夏が好きなのですが、特に夏の空が好き。

真っ青の空に真っ白の分厚い雲が広がっていて、奥行きを感じるこの青空が「今ここは夏なんだぞ」という最大限のアピールのように感じる。

青空と白い雲がこんなにも映えるのは、「青い」に相対する色が「白い」だからなのかなと思います。

青空を自分のカメラから表現できるっていいなぁ

6年前に一眼レフカメラを持ってから、いつかは青空を綺麗に撮影して自分が思い描く美しい青空を表現できるようになりたいとも思っていました。

というのも、いろんな人の一眼レフで撮った写真を見ていると、上手な人に限って青空の写真が美しいんです。

いつか私もこのくらいできるようになりたい…と思うように。

でも、写真ってそもそも正解がないジャンルの世界だと思うし、自分が真に美しいと思ったものに1番価値が込められるのだと思います。

ただそれを言葉で具現化するのは難しくて、レタッチも感覚がより重要な気がしていて。

「この瞬間を1枚にしたい!」と思った情景をそのまま再現してこそ、見る側からしたら馴染みのある瞬間としてその写真を受け入れてもらえる。そこで初めて「この写真いいな」とか感じてもらえるのかな。

あわよくば私は、普遍的な多くの人に受け入れてもらえる写真を創っていきたい。

青空=自由の象徴

青空って自由の象徴な気がしていて、休みの日でも仕事の日でも、たとえ私の中でどんな感情の起伏があっても空だけは変わらず存在しているじゃないですか。

仕事が終わって屋根の下から出れば、青空がいつも同じスタイルで出迎えてくれる。

青空の広さに比べたら自分が常にいる場所っていうのはあまりに狭いし、どんなに仕事で失敗をしてもこの広い世界の中で考えたらあまりにちっぽけな気がしていて。

少し脱線しますが、よくある私の中での考え方で、何か仕事で失敗をした時にまずは地球を思い浮かべるんです。まん丸の。

そしてその宇宙から地球を見たときに、私がいる場所は豆粒みたいなサイズで確認することができて、その更に拡大してようやく見える建物内であったミスなんて、地球規模で見たら何も依然と変わったふうにはみえない。

だから、このミスなんてこの世からしたらあまりにちっぽけで、思い悩むほど大したことではないんじゃないかっていうふうに考えることがあるんです。

だから、話を戻すと常日頃から当たり前のように見る空っていうのは、そういった邪念からも解放させてくれる存在であり、その中で青空は誰もが心地よく感じることができる美しい光景なんじゃないかって思います。

最後に

青空を写真に収めてそれを自分の中で消化して、皆さんに還元していくっていうのが、私の勝手な使命の1つなんだと思っています。

これからも自分らしい表現で写真とのんびり向き合っていけたらなと思います。

最後までご覧いただきありがとうございました!

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